「ちょっとね、血迷ったんだ」20181113
この手紙の宛先について、
八つ裂きという言葉そのものの無残な姿となった手紙を前に、神妙な面持ちで腕を組む兼さんに動揺はしないものの、まずいなとは思った。
「まぁ、座れよ。言い訳くらいなら聞いてやる」
正面に正座すると、一言「で?」とだけ問われた。
「ちょっとね、血迷ったんだ」
今にも拳が飛んできておかしくない返答をしてしまったのは、分かって欲しかったのかもしれない。
「その割には後生大事に仕舞い込んでる風だったがな」
「……うん。そう、だね。大事だから、書いてしまった」
函館への百を超える出陣のいつかに抱いた気持ちをしたためた手紙には、一文だけさようなら」と書いた。
「今、兼さんが聞きたいのはこういう事じゃないとは思うんだけど」
「ああ」
「……ごめんね」
軽く、発すると、泣き出しそうに皺が入った目頭を押さえて胸にその頭を抱き寄せた。
この、たった一文を目にした時に、この人が何を思ったのか。それを考えると自然と言い訳より正論より先に抱擁を選んでしまった。
「ごめん。愛してるから、兼さん」
畳の上に散ったビリビリに引き裂かれた薄桃色の便箋を膝で踏みつけて、なるべく優しく抱きしめる。
いつもは僕を見下ろしている碧色の瞳は上目遣いで不安げに揺らめいていて、瞼に口付けすると長い睫毛が頬に影を落とした。
綺麗な顔だった。
「過去を変えてはいけない。それで誰が救われるとしても、歴史が変わってしまうから」
函館で僕は何度も兼さんに諭されている。飽きもせず、毎度毎度いちいち傷つくなと、使命を思い出せと。その何度めかだった。僕は血迷ってしまった。
これから主を失い片割れを失う和泉守兼定を前に血迷って、綴ってしまった。
――さようなら
深夜。寝息を立てる兼さんを背に、紫檀の座卓に向かい正座し、慣れない万年筆で丁寧に一文字一文字心を込めて書いたその五文字は、書き終わった瞬間にこの世に存在してはいけないものだと直感させた。
それでも捨てる事が出来ず鏡台の引き出しに仕舞い込んだ時に、願った。
いつか、見つけて欲しい、と。
あの時。まだ、鋼の塊だった僕に心があったなら同じように祈ったであろう願いだった。
「あれはオレじゃない」
胸の内に兼さんの独白が染み込む。
「けど、オレはあいつだ」
函館で散り散りになる運命を背負った自分たちを目で追い、不意に引き寄せられるように歩き出した僕の腕を兼さんが引き寄せた時。何も言わずにただ見つめていたあの眼差しを、過去に囚われている僕への憐れみのように感じていたけれど、今なら無言の訴えなのだと分かる。
「国広」
僕を見上げる瞳の輪郭が震えている。
「オレはここに居る」
膝立ちの下でバラバラになった手紙を見つけた時の怒りや悲しみを全て堪えた一言だった。
「うん」
「一度だけ、聞く」
「うん」
「これを、誰に宛てた」
腕の中の最愛が振り絞った問いかけに、せめて真っ直ぐに応えたくて目線を同じ位置に合わせた。
「あの頃の僕らに」
これが、誠意だ。
僕の、愛情だ。
「……わかった」
そして、これが兼さんの。
「お前を、許す」
始終握りしめていた拳が解かれて、造形を確認するように僕の頬を包む。
張り詰めていた掌の皮膚が硬い。
唇は、柔らかい。
「便利だ、人の身は」
ほんの少し息継ぎしただけで吸われ続けた下唇が少し痺れる。
「こうやってお前を引き留めていられる」
深く深く潜り込むような口吸いに蕩けた体が脱力して、兼さんの腕の中にすっぽり収まった。
「ここは、落ち着くね」
そんな記憶は持ち合わせていないはずなのに、何故か胎内に居る時のような安心感で微睡み、口を衝く。
「……だろ?」
冗談ぽく笑った兼さんが壊れ物を抱えるように僕の背中を抱きしめた。
「許して、兼さん。僕」
「ああ。ここに居るなら」
頷くと、良い子にするように髪を撫でられた。
きっとこれからもあの鋼の塊を僕は見過ごせない。
本気で救いに行こうと血迷って綴った五文字を抱えながら、不実と分かっていても、見過ごせはしない。だから、せめて立ち尽くす時はどうか引き留めて欲しい。こうやって。
――さようなら
もう二度と、手紙は書かないよ。ここに、ずっと、居るから。
【了】
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