「呼んだだろ。オレの名前」170908〜
・戦闘中に喉・声帯が破壊され、手入れ部屋にはいるも数日間声が出なくなった国広とそんな国広にいつもより素直になっちゃう兼さんのお話
手入れ部屋に入室中の灯りが点く。
表示された残り時間18時間の勘定に一同は狼狽するも、終了時刻が判明し一命は取り留めた事が判明したのは幸いだ。
「生きろよ、国広」
審神者による強制帰還でここに搬入されたのは脇差堀川国広。相棒の和泉守兼定が別部隊で遠征中の出来事だった。
こんのすけ曰く顔も体も傷一つ無いが、喉を一突きされたことが致命傷で強制帰還と相成ったとのこと。
首は人体の大きな急所であり即死しなかったのが奇跡だが、本人の生命力と処置の速さの賜物といえる。
護符も所持していたし、手入れ部屋にも入れた。後は時間の問題だろう。
そうは言われても何の意味も無かろうが手入れ部屋の前から動くことが出来ない和泉守を誰も責めることはしない。
骨喰と平野が毛布と軽食を運んできた。二人とも堀川と共に編成されていた隊員だ。
「俺も兄弟がこうなったら…。あんたの気持ちは分かると思う」
「堀川さんの支えになると思います」
対応する和泉守の表情はやや憂いを含みつつも動揺しているわけではなく、平静に感謝するとだけ呟いた。
「和泉守さん偉いね。取り乱さずに構えていて」
「目覚めた後のことを見据えているのかもな」
乱と厚は差し入れの用意の後始末をしながら感心していた。皆、自分だったらと覚えがあるのだ。
「和泉守、今日の当番変わってやるよ。主もいいって」
「悪いな」
「お互い様だろ!」
獅子王はニッと笑うと、側に居てやれってと肩をポンと叩き畑に向かった。
夜が明けて、入室から半日が経ち残り時間は2時間を切るところ。和泉守は一睡もせずただ戸口に留まっていた。
「顔だけでも洗って来なよ。そんな顔してたら堀川も心配するよ」
大和守が気を回す。
「心配してんのはオレだ」
「だから、それが堀川には心配なんだってば」
いいから行けと半ば強引に加州が送り出す。腑に落ちているのかいないのか和泉守は無言で洗面所に向かう。
その背中を見つめながら加州は嘘でしょと仰天の声を上げる。
「どうしたの清光」
「あいつが堀川のこと心配してると口にするとは。余程混乱してるね」
「あー…」
確かに、と大和守も頷く。堀川への感情を他人の前で素直に言葉にする事は和泉守の自尊心に関わる事で本来は有り得ないのだ。
和泉守本人も気付いていないであろう精神的な揺らぎを感じ取り、加州も大和守も手入れ部屋の堀川に想いを馳せた。
「早く出て来なよね。お前の兼さんいっぱいいっぱいだよ?」
***
「主様から面会の許可が出ましたよ」
こんのすけが手入れ部屋の戸を開け、招き入れる。
布団に寝かされた堀川は負傷した首以外はかすり傷一つなかったが、目覚めたばかりで朧げなのか目を細めて不思議そうな表情をしていた。
「国広、オレが分かるか」
和泉守が手を握りながら覗き込む。
堀川の目は細めたままだが、視線だけは和泉守の顔を捉え、ゆっくりとその手を握り返した。
「ああ…」
病み上がりでも健気に応えてくる相棒を想うと堪らなくなり、和泉守は人目もはばからず上半身を覆うように抱きつき顔を寄せた。
堀川の指先が頭を撫でようとして宙を彷徨う。
「まだ頭が鈍っているのでしょう。処置は完了しています。ただ…」
こんのすけが不穏な物言いで切り出す。
「喉について。審神者の力で復元し現在は呼吸も嚥下も出来ますが、声帯だけは完全には戻っていません。あと数日。声は出ないので安静にして下さい」
声が出ない。
それだけならば、と安堵する。本来なら即死も免れない重傷だったのだ。
試すように口を開いた堀川は少し困惑している。
「なに、数日だ。不自由するかもしれねえけど辛抱しろ。主も最善を尽くしてくれたんだ」
主の名を出すと堀川もハッと閃いた顔になり、小さく頷いた。
「補佐してあげて下さいね、和泉守さん」
では、とこんのすけは部屋を後にする。残された二人は何故か言葉が出ず手だけが触れ合ったままだった。
「オレもちょっと寝るかね」
ふぁと欠伸をし寝転んだ和泉守の目尻には涙が浮かび、クマが出来ていた。遠征先から駆けつけて手入れから堀川の意識が戻る今の今まで一睡もしていない。
それに気づいた堀川の顔色が変わるが、先制するように横向きで抱きつかれ驚く。
「このまま寝るか」
問いかけるような独り言のような言葉を吐いて、和泉守はそのまま眠りについてしまった。
自分より体格の良い者に体重を乗せられていながらも堀川は心地良かった。その重みから、自分の全てを包み込み、さらに求めていることが伝わってくる。
生きてて良かった。顔にかかる長い髪を掬いながら思う。
和泉守の服が皺になる事が気になったが、着替えさせようにも長い手足に抱え込まれるように抱きつかれて身動きも取れない。諦めてこのまま一緒に寝てしまおう、と和泉守の胸元に顔をぎゅっと押し付ける。
数日ぶりに抱きついた相棒の匂いと温度は落ち着いて、安心する。
堀川はすぐに熟睡した。
それから半日。
まさに泥のように眠りこけた二人の元に今剣と岩融が夕食を届けに来た。
「ごはんでーすよー」
「がははは!これは仲睦まじいな!」
よく響く陽気で大きな声に和泉守は寝ぼけ眼で体を起こすと、深い眠りについた堀川の腕が胴体に絡みついていることに気付く。
岩融はこのことを…。
曖昧な意識の中で状況を掴んでいく。
「……あんま見んな」
「まぁ、そう恥ずかしがるな!こぼすなよ!」
やや粗暴に盆ごと押し付けるものだから、堀川の分の流動食が少し溢れる。今剣がだめですよと軽く注意するもがははと笑いのけ、そのまま退散していった。慌しい。
どうしたものかと腰に巻きつく腕に視線をやる。とりあえずゆっくりと起こさないように剥がして、布団の上で身なりを整える最中、首に巻かれた包帯が目に入る。
特に血が滲んだり汚れた感じは見受けられないが、取り替えたほうが良いだろうか。
喉仏部分の凹みに傷跡の深さを感じて痛々しくなる。
普段なら常に先に目覚めている相棒の寝顔などそうそう見ることはない。
治療に耐えて疲れているのだろう。
そのまま寝かせて、自分だけ先に夕食を済ませることにした。
「冷めたらまた温めりゃいいよな」
味噌汁をすすりながらも堀川に異変が起きないか見張ったまま。
まるで堀川の熟睡した顔を肴に米を食べているような、不思議な感覚があった。堀川は小さく寝息を立てて動くことはない。
寝相良いなぁお前、と和泉守は感心すると同時に食事を終えた。
茶でも淹れるかと急須を手に取り、そう言えば睡眠中の水分補給が出来ていないのではと急に心配になる。
そう言えば汗をかいて寝巻きも敷き布もしっとりと濡れている。
手拭いを持ち鎖骨から胸元に流れ落ちる汗を拭こうと襟元を緩めた時に薄っすら目を開いた堀川と視線が合った。
「ちっ、違うからなこれは」
眠りを襲おうとしているわけではないと余計な言い訳を並べる和泉守に対して堀川は微笑む。
――ありがとう
そんな声が聞こえるような優しい眼差しだ。
「気にすんな。後で風呂に入れてやるよ」
和泉守の声掛けに堀川は慌てて手拭いを欲しがり、受け取ると自分で体を拭き始めた。体はちゃんと動くという見せつけだろう。
「まぁ喉以外は傷一つ無いと主も言ってはいたが…」
うんうんと堀川は頷く。
「ジッとしてんのはお前の性に合わないわな」
まぁ飯でも食いなと碗を差し出す。ご飯といっても重湯と果汁のみだが、堀川はゆっくりと自分の手で飲み干した。
「いい食いっぷりだねえ」
揶揄うような和泉守の言葉だったが、堀川は照れ臭そうに微笑んだ。
冗談交じりだろうが直接褒められることなどとても珍しいのだ。
「オレは風呂に行くが…」
どうする?と目線をやると、先ほどと同じようにうんうんと頷く。それだけで一緒に行くという意思表示は伝わる。
喉の傷跡がまだ塞がっていないのももあり、湯船には共に浸かれないが、水がかからないように注意しながら髪を洗って貰い、堀川は上機嫌だ。
大きな手が頭を包み込む気持ち良さと、耳や傷跡に水が跳ねないように配慮して優しく触れられることが嬉しい。
和泉守がハイ終わりとタオルでその髪をまとめると、両手を差し出す。
「ん?なんだ?」
ツンツンと和泉守の三つ編みをつつく。
「オレの髪洗うって?」
うんうん。
「ははっ、好きにしな」
風呂椅子に座り、背中を向けると艶のある黒髪が堀川の前に広がる。
最初に櫛で梳かして、汚れや濯ぎ残しが無いように丁寧に仕上げる。
長身の和泉守の腰より長い髪を洗うのは一苦労だが、堀川はこの作業が好きだ。
和泉守の自慢の黒髪に触れられること、任されることが嬉しい。
頭皮を軽く押しながら反応を探り、ここかなというところを揉みほぐすとあー…と和泉守の恍惚の声が漏れ聞こえてきて、嬉しくていつもより念入りに手入れする。
「今日はサービスがいいねえ」
これも和泉守なりの褒め言葉だ。嬉しい。
体は湯でサッと流す。
術後の長湯はまだ控えるように主に釘を刺されていたことをすっかり忘れて二人して髪に触れ合い戯れついてしまった。
慌てながら洗い場から出た堀川は足拭き場で体を拭こうと籠に入れておいたタオルに手をやろうとするが、和泉守に奪われて手ぇ上げろと万歳を促される。
子供扱いされているようで気恥ずかしく、自分で出来るとタオルを取り返そうと手を伸ばすが、頭上に持ち上げられて、図らずも万歳の格好になる。
「はいはい、上手上手」
あやすような物言いをしながらテキパキと肩から腕、腋から胴体、下半身と水滴を拭き取っていく。
「足もうちょっと開け」
股間から内腿の影になっている部分が上手く拭けないから。ただそれだけの理由とは分かっているが、人目に晒すことのないソコを和泉守に拭かせるなどと、考えただけで顔が赤くなる。
堀川は強引にタオルを奪って素早く残りを拭き、眉を上げた膨れっ面で和泉守に向き合う。
「照れる仲かよ」
そういう意味ではないと言いたかったが、声は出ないので両手を上下に振って怒りを動作で訴える。
「おいおい、そんな動くなよ。血吹き出すぞ」
右手で頭をポンポンと叩かれ、そのまま後頭部を引き寄せられてキスされた。
余りにも流れが自然で驚く暇もない。
面食らったまま立ち尽くしていると、寝巻きを渡される。和泉守は帯を巻きながら湯冷めするぞと呑気に言っているが、堀川としては困惑でしかない。
今日の和泉守はどうかしている。
そろそろその事に気付き始めた。
袖を通しながら、目覚めてからの事を回想する。やけに機嫌が良かった?
そんな気がするようなしないような。と言っても、ご飯を食べて風呂に入っただけで、何が和泉守の気分を高揚させているのか見当がつかない。
しかし、目にクマを作り寝こけていたあの顔が今は和かに笑みを浮かべているなら理由などどうでもよい。堀川はそう納得した。
脱衣所から廊下に出ると、先に上がっていた和泉守が待ち構えていた。
お待たせとニコッと笑ってみせると、手を差し出される。
なんだろう?と不思議に思うも、考える前に堀川の手は強引に掴まれて、二人の指と指は折り重なっていた。
和泉守から手を繋いできた。流石に堀川も仰天した。
先程さらっとやってのけた口付けも、なんならその先の肉体関係も経験済みで。和泉守の言う通り照れる仲では無いのだが、よくよく考えたら手を繋いだことなど今まで無かったのでは?
堀川の眼球が過去を巡りながらぐるぐる動く。
「部屋帰ったら包帯巻き直すか」
顔色一つ変えないなんて狡い。
こんなに心を高鳴らせておきながら、自分は何も無いような顔をしているなんて。
気まぐれで口付けて、体に触れて。
――狡いよ兼さん
「国広?」
反応を示さない堀川に歩みを止めて覗き込む。
自分の顔を和泉守の影が覆うことにハッと気づくと目と目があって、そのままキスされた。
今度は唇の先端が触れた時に反応し、胸元をトンと抑えてそれ以上の密着を制す。
「…返事しねぇから」
言い訳のような和泉守の呟きに声が出ないのにどうやってとムッとすると不機嫌が伝わったようで、怒んなよと宥められる。
怒っているわけではないけれど…。
灯りの点いた部屋を指差す。
「ああ、場所考えろって?」
こくこくと頭を振ると、じゃあ早く部屋行こうぜと手を引かれて急がされてしまった。
完治するまで傷病者の経過観察用の就寝室で補佐の和泉守と過ごすことを主に命じられたので、暫くは見慣れぬ部屋での生活だ。
薬を持ってきたこんのすけが主にかわり釘をさす。
「声帯が復元するまで声が出るようなことをしてはいけませんよ」
分かりましたか和泉守さん、と名指しされ分かってるよと答えてはいるが、兼さんは主さんが何を忠告しているのか分かってない!と堀川は顔を赤くした。
一度だけ情事の声が漏れ出ていると指摘された時は顔から火が出そうになった。
和泉守はもう忘れているのだろうか。そういえば当時も別段照れたり気まずそうにしたりは無かったような…と堀川は思い返す。
「主がああ言ってるから、今夜は我慢するか」
な、と目配せしてきた和泉守に驚愕で目を見開いた。意味を分かっているなんて。
兼さん大人…と呟いたのは伝わらなかった。
「あとお手数ですが昨日の遠征の報告書の提出もお願いします。部隊長は和泉守さんだったので」
堀川の重傷による手入れ部屋搬送に伴い、和泉守の元に遠征鳩を飛ばし強制帰還をしたらしい。主の計らいとはいえ極めて私情による帰還だったので和泉守は部隊員に頭を下げたのだと後で知る。
「隊長になるとこれがあるから嫌なんだよなあ」
こんのすけから日誌と書類を受け取り眉間に皺を寄せ、横から首を出しジッと見つめる堀川に分かってるってと手で払う。文句を言いながらもやることはやる事を堀川も分かってはいるのだが。
机の前の座布団をポンポンと叩く。座れの合図だ。
「さっさと書けって?まぁオレが終わらねえとお前も寝れないか」
存外すんなりと日誌を広げて机に向かう。
うんうんと満足げに頷いた堀川は布団を整え、茶を淹れようとしたが、茶葉が切れている。
和泉守に御厨に行ってくると身振りで伝えると送ると言われたので驚いた。こんなに過保護だったか。
大丈夫だから早く書けと立ち上がろうとする肩を抑えて日誌をトントンと叩く。
廊下に出ると月明かりだけで足元が見辛く、空気が乾いて少し寒いことに気づく。そういえば負傷後に一人で出歩くのは初めてだ。
御厨に着くと平野がお茶を淹れていた。
「あ!堀川さん、お加減いかがですか?」
同じ部隊員だった平野にも迷惑をかけただろう。深くお辞儀だけするとよして下さいと遠慮された。
「お守り出来ず心苦しかったので…。無事で幸いです」
茶葉とこれは和泉守さんにと饅頭を渡された。
「堀川さんはまだお食事は出来ないと聞いたので。僕からの労いということでお渡し下さい」
やっぱりこれもと二つ目を手の平に乗せられた。二つも?と首を傾げると、和泉守さんにお任せしますとニコリと笑いかえされる。
「喉も早く治ると良いですね。堀川さんの和泉守さんを呼ぶ声が聞こえない本丸は少し寂しいです」
では、と御厨を後にする平野に一礼して踵を返す。和泉守も喜ぶだろう。
部屋に戻ると筆を持った状態で和泉守は机に突っ伏していた。書き終わってはいるのだろうか。分からないが、冷えるだろうと肩に夜着をかける。
折角平野に貰ったのにと饅頭を急須と共に盆に置き、ため息をつく。
平野は労いと言っていたが、確かに和泉守は寝ずに面倒を見てくれていたのだ。
今日一日妙に気が昂ぶっているように見えるのもやたらと接触したがるのもその反動かもしれないと堀川は思った。
心配をかけたのだ。確実に。
口付けを拒んだりして悪かったなと反省した。きっと喉以外普段と変わらぬ姿でここに存在する事が嬉しいのだろう。その喜びを受け入れてやればよかった。
――兼さん
試しに口を開けてみるも、発声は出来なかった。声帯は審神者の力で復元中(仕組みはよく分からない)で負担をかけるなと言われたから、試みは一度で終える。
平野が言っていたように、自分が和泉守の名を呼べない等不自然で、ふと急に寂しくなった。
あわや絶命の時ですら呼んだのに。
そうだ、そうだった。
突如冴え渡るように当時の記憶が蘇って来た。
敵に首を狙われ、避けきれずに突かれた瞬間。絶命を覚悟するその刹那に自分は和泉守の名を口にした。
堀川は意識を失う最後の言葉と共に恐怖とも後悔とも違う寂しい気持ちを思い出した。あの瞬間、ひどく孤独を感じたのだ。
独りぼっちで死んで行く寂しさ。そして独りぼっちにしてしまう悲しさ。
普段なら意識する事のない感情なのは、和泉守が常に側に居てくれるからだ。
こちらに背を向けて伏せて寝ている和泉守に急に愛しさや感謝の気持ちがこみ上げてくる。
――ありがとう兼さん
独りにしないでくれて。
背中に抱きついて?を寄せたかったが、起こしてしまうだろう。
ジッと大きな背中を見つめて、自分の無事を祈ってくれた事、体を気遣ってくれた事、負傷した体を愛そうとしてくれた事、和泉守の深い愛情を噛み締めて膝を抱えた。
胸と膝の重なる隙間に顔を埋めて、心の中で唱えてみた。
兼さん、兼さん、兼さん。
ずっとずっと呼んでいた名前。
人の身を得るまでの間もずっと求めて、欲して、探していた名前。
もしかしたら自分はこの名を呼ぶ為にこの体を得たのかもしれないと堀川は思った。
その名を呼ぶと振り返る顔が、なびく長い髪が、呼び返す声が。大好きだ。
兼さん、大好きだよ。
声にならない想いが堀川の目尻を伝う。
早く、またこの名を呼びたいな。
――兼さん……
「どうした?」
振り返った顔は寝起きで?に下敷きにした日誌の跡がうっすら入っていて。声も欠伸混じりだけど、確かにそれは自分への返事で。
あれ?と喉を抑えてみる。
もしかして声帯が元に?ともう一度呼んでみたが、発声はやはり出来ない。
背後に気配を感じて偶然呼びかけただけだろうか。
声を持たぬ堀川は潤む瞳で寝起きの和泉守を熟視する。
その視線にははっと笑って伸ばした手で頭を撫でられた。
「呼んだだろ。オレの名前」
自信ありげに言い切る。
――なんで分かったの
「お前の呼ぶ声が聞こえなかった時なんかねえよ」
別部隊で遠征していたあの時。
自分の名を呼ぶかたわれの声がして、空耳かと空を見上げたら遠征鳩が飛んできたのだと和泉守は話す。
手入れ部屋の戸口にもたれかかり、あれが最後の声だなんて許せそうにないと思ったと。
風穴を開けた首筋に包帯を巻いた堀川が横たわる姿を見て、自分に何が出来るか、何をしてやれるかを真剣に考えたと。
「言葉に出来ない分、ちゃんと見ててやんねえとって思ったんだけどよ。てめえときたら」
和泉守が思い出しながらぷっと吹き出す。
何をしただろう?堀川は頭を巡らせる。
「聞こえるんだよ。お前の瞳から、体から。お前の存在すべてからオレのことを呼んでいるのが」
そこに居るだけで自分を欲し、求め、探すその呼び名が。和泉守には確かに聞こえたのだ。
「それでなんつーかそのな…うん…まぁ」
急に歯切れが悪くなるので、首を傾げて覗き込むと少し顔が赤かった。
「か…」
か?と声は出ないが口をその形に開き、視線をずらし眉を寄せ口をへの字にしてバツが悪そうに顔を赤らめた和泉守の両手を、か?なに?と急かして握る。
堀川はこの言葉を聞き逃してはいけない気がした。
「か、可愛いって思っちまったんだからしょうがねえだろ!」
驚いた堀川はつい人差し指を立てた。
「二度と言うかよっ」
聞き違いで無ければ、和泉守が自分を可愛いと思ったと口にした。あの和泉守が。
これは単に推測…いや、願望に近いが、きっと先程和泉守の背中を見つめていた時の自分と同じ気持ちだったのではないかと堀川は胸を熱くした。
「だから…その…お前が戸惑ってるのは分かっちゃいたんだがな」
和泉守らしくなくモゴモゴと言い訳しているが、声なき堀川の内から自身を求める気持ちを感じ取ると堪らなくなりつい口付けたり触れたりしてしまったらしい。
気分が高揚していたのも隣に居るだけでその条件を満たしていたからか。
言わなければ良かったと和泉守は自身の顔を覆う。
堀川は、普段なら和泉守の自尊心に踏み込んでまで言葉を欲したりはしないが、聞き出して良かったと思った。和泉守は自分の心の内をちゃんと受け止めてくれる。信じてはいたが確かに内包していた不安など弾け飛ぶ言葉をくれる。
この人が大好きだ。
好きだ、好きだ。大好きだ。
鼓動が早まって体温がグッと上がる。鼻の頭が熱くなって、呼吸がしづらい。目の奥がじわっと滲んでくる。
今は声が出ないけど、きっとこれは言葉に変えられないのだろう。
どうしたら伝わるかな。
握った手の甲に唇をつけた。ちゅと音がして、柔らかな感触が伝わる。
和泉守の手の平を広げて指の一本一本に同じように唇を寄せる。
自分の髪を撫で、顔を寄せ、指を絡ませたこの手が愛しい。
手だけじゃなく、髪も瞼も頬も額も唇も、愛しい全てに口付けた。
くすぐったいと笑いながらも制すことなく受け入れる和泉守はきっと分かっている。この愛撫の意味を。
可愛い。堀川はそう思った。
気持ちが抑えきれなくて場所も考えずに手を握ってきただなんて。
なんて可愛いのだろう、愛しいのだろう。そんな事を知ってしまったら、僕だって止まらないよ。兼さんもそうだったんでしょう。
同じように惹かれる二人の唇が重なり、貪るように舌が絡む。
互いが互いを愛しい、愛しいと求めて。もっと欲しい、もっと欲しいと求めて。食べ尽くすかのような口吸いで口内から唇を伝い顎に唾液が漏れる。息継ぎで一旦顔が離れた時にそれを拭った手の甲を舌で舐めとると、そんな顔するなと和泉守に叱られた。
自分とて熱に浮いたい淫らな顔をしているのに
和泉守も知らないわけがない。
今夜の二人がこのまま終わるわけがない事を。
「主に釘刺されたってのによ」
そう言いながらも向き合う堀川の衿を緩めて、腰に回した両手を引き寄せ胸元に跡が残るほど強く吸い付き抱きかかえる。
堀川の体はビクッと跳ねて、目は蕩けるように滲んだ。
酸素を求めて開いた口から荒い息がぜぇぜぇと漏れる。意識が朦朧としてきたが、嫌だと頭を振って和泉守の唇の触れる部分の熱さに集中した。
この交わりを、愛しさを、ハッキリと覚えておきたかった。
またその名を呼ぶ時に、今日のこの気持ちを込めたかったから。
――ねぇ、聞こえる?
呼吸に詰まりながら、心で唱えてみた。
「……聞こえるよ」
その言葉に満たされて溢れ出た感情が堀川の頬を伝うと、二人の隙間は無くなってひとつになった。
***
「主様は大層お怒りですよ」
「あーやっぱバレてるか」
寝起き早々のこんのすけと和泉守のやり取りに紅潮するしかない。
そういう気分だったので仕方がないとはいえ、いつもなら自分が歯止めが利くように調整するのに、調子に乗って三度も果てるまで致してしまった。自分の思わぬ欲深さと向き合ったようで堀川は恐ろしくなる。
そして、朱が散った自らの体に気づき動揺し、そういえばと和泉守に目をやる。
「いいじゃねえか。体は無事なんだし」
こんのすけと対話する和泉守の首筋から鎖骨の間に鬱血した跡が一箇所。
つけたのは堀川なので人の事を言えないとは承知しつつ、よく平気でこんのすけと向き合えるものだと和泉守の神経を疑う。
「なぁ、国広」
話を振られたが無視した。
「…なぁ、おいってば」
少しだけその声の語尾には不安が混じって。
意地悪だったかな?と上目遣いでチラッとその表情を確認すると、微かに唇が歪んでいたから、すぐに笑って頷いた。
目と目があって。
きっと、繊細で単純な、僕にしか分からないその機微はやっぱり愛しくて。
早くこの声を伝えたいなと思ったけれど。
全て見透かされちゃうんだろうな。
それでもこの声が戻ったなら、一番最初に伝えよう。
――兼さん、大好きだよ
胸の中で呟いてみたら、和泉守が呼んだか?と首を傾げたから。
可笑しくて、愛しくて。
堀川はアハハッと笑ってしまった。
【了】
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